日記

比較という世界観からの脱却

 

今、生きている事がとても愉しい。

胸の奥から始まり、一瞬にして全身と心に花が咲き、これが愛と表現できるかな、至福を感じると表現するのかな、と思う事が普通に起こる。

「愛」と「至福」の感覚は誰かと比べるものではないのに、他人からの承認を求めようとする自分がいた。

日常的に「比較」を自分の一部のように生活してきたことに気が付く。

もし今、一流企業で勤める超エリートでお金の苦労もなく生活していたとしたら、今のこの感覚と思考を体感する事はなかったのだろう。

何時も誰かと何かと比較して偏見と差別の痛みを感じながら傷つき強がりだけで生きていたのに、そんな自分で良かったと赦せる時がきた。

幼少時から、人は助け合って、思い合い、高め合いながら生活するのだと信じていたが、そうはならない現実が沢山起こった。心はズタズタになり始め、知人たちの行動が不思議に思えてきた。そうか、自分もやってみたらあの人の気持ちが分かるかもしれない!とまず、タバコを吸い始めた。初めて吸った時、全身と心が地底に落ちていく感覚がしたのを今も鮮明に覚えている。

耳にピアスもあけた。居酒屋でバイトを始めた。働いたらお金を得れる楽しみを知った。12歳年上の誰に紹介しても恥ずかしくない程の優しい彼氏に出逢った。

セックスを知った。異性との信頼関係も知った。自動車も乗れるようになった。

人並みが体験できていると満足しながら生活していたはずだったが違ってた。

ただ単に自分の気持ちを押しつぶし、喜怒哀楽を感じないように呼吸をしていただけだった。目の前に起こる自分の出来事を全て他人事の様に捉えていたら、大きな事件が起き、少し目が覚めた、、はずだった。が、

優しすぎる彼では退屈になり年下の子に夢中になり話し合って別れ、年下の子と交際していたと信じていたのに二股かけられていて、驚いて傷ついた。人を裏切る意味が全く分からなかったので自分もやってみようと遊びまくった。

ある日、罰があたった。身体に傷がついた。もちろん、心もね。

さすがに、目が覚め自分を大切にしようと決めたが、人を信じる事はやめた。

愛のある世界なんて諦めて、常識に慣れるのが生きやすいのだと学んだ。結婚し自己責任で生きるのだと夫にも教わり全て自分で解決すべきだとも知った。

幸せはほんの少し感じていればいいのだと思い込んだ。

娘二人に恵まれた。夫にも愛してもらっていたがずっと苦しかった。夫と共にもがいたけど、お互いくたびれて解散した。

 

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あはははははhhwww

こう書くと、なんか、暗いwwwもうさ、大変www 自分で自分を闇の方へ洗脳していたんだよね。がんばったなぁ。

 

今後は愛の洗脳をしよう!もう、同じ道は歩むもんか。

世界中のどこかに、

「自分の全てを包み込んで愛し癒してくれる人が存在する」

と小さい頃知っていたのを思い出しちゃったんだよ。人を信じないはずが、自分の事も信じるのやめちゃってたみたいで、大切な事、全部忘れちゃってた。

2020年からは100%の幸福を求め体感し、自分が愛せないものは捨ててしまお。そうは言っても苦しい事もでてくる、そしたら苦しみを終わりにするために起きた事だと理解して、自分で自分を苦しめる自分に、死んでもらお。で、愛で解決すればいいんだわ。

愉しむ事が勉強と課して、自分の幸せを犠牲にするのはやめちゃるわ。⇦これむずかしそ。

常識人より正直者になれるよう。

癖や習慣はなかなかにして、変えるのが難しいからこそ、挑戦だにゃ。

 

 

 

 

 

 

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